◆◆クラフト史・頼 空陀◆◆


    

   〜アルバム『スケッチブック』の頃〜 
     

         
 
 1976 年リリースの『言問橋』は、新生クラフトのシングルとして、ある程度の成功を治めた。

 そしてこの曲を中心に、新生クラフトとしての新作アルバムの制作に入って行くのである。
この頃の音楽業界は今とだいぶ様相が違っていた。
まず、“シングルありき”であり、ある程度その曲が浸透していった頃に、
そのシングルを含むアルバムを発売するという“段取り?”になっていた。

 メンバーは次なるアルバムのために曲作りに励み、かなりの作品が集まった。
2枚目のアルバム『ハンドクラフト』は、ヒット曲『僕にまかせてください』を中心に据えた形態だったが
(『スーパーマーケット』、『待てません』、『虹』…などの、いわゆるアメリカンポップス的な曲と叙情派的フォークが混在する、
ある種の過渡的なアルバムではあったが…)

 この『スケッチブック』は、新生クラフトの純オリジナル曲だけで構成されるアルバムになっていた。
それだけに、このアルバムには全員の情熱が注がれた感がある。
実際の録音は機材を山梨県の森泉郷の貸別荘に持ち込み、1週間程度で仕上げられた。
その後のミックスダウンは東京に戻ってから,,,ということになっていた。
メンバーとしてもこういう形でのアルバム制作は初めてのことでもあり、
また、山梨の快適な自然環境のなかでの作業はとても新鮮だったようだ。

 収録曲も各々が持ち寄って、バランスのとれた、そして肩の力の抜けた作品になった。
のちにクラフトがライブで良く演奏する楽曲(『帰郷』、『カリフォルニアランデブー』、『似顔絵』等々)はこの時に生まれている。

 アルバムジャケットはシンガーソングライターの西島三重子(名曲『池上線』の作詞作曲演奏者)の絵である。
西島三重子は、同じワーナーパイオニアレーベルのアーティストであり、コンサートでも一緒に回ったことがあって、
親交があったようだ。『スケッチブック』制作時にも山梨の貸別荘に陣中見舞いに来てくれた。
こうして4人の個性が存分に発揮されたアルバム『スケッチブック』が完成したのである。

* 追記*
 アルバム収録の『言問橋』はシングルのそれと別アレンジになっている。
これにはファンの間で賛否両論があったようだ。「なぜ、シングルとアレンジが違うの?」
「“言問橋”ってこんな曲だった?」などなど、、、。
アレンジをした三井はそれを聞いてどう思っただろう