◆◆クラフト史・頼 空陀◆◆


    

   〜『言問橋』始末記〜  
     

         
 

 東京浅草、隅田川に架かる『言問橋』。この橋を題材にして物語をこしらえ曲を作ろうと思ったのは、
三井の江戸趣味的な感覚に負うところが多い。
もともと九州は熊本の出身である彼は、東京の下町に憧れのようなものを抱いていた。
それは遠くはなれた故郷を思う気持ちにも似ていた。
 また、学生時代に付き合っていた女性が、川向こうの墨田区に住んでいた事もあり、
その女性との関わりも、この曲に反映されたようだ(実際は『言問橋』のストーリーとは全く違うようだが…)。
結局この“恋”は成就しなかったが、このことが『言問橋』誕生の原点のひとつであったことは確かである。

 さて、そろそろ次なるシングル盤を考えなければいけない時期に来ていたメンバーは、
おのおの作った曲や詞を持ち寄り、ミーティングを繰り返していた。
ここで問題になったのは、次なる新曲をどういう位置付けにするか?ということであった。
クラフト本来のポップ路線に戻すか?あるいはヒットしたフォーク路線で行くか?…。
メンバーも大いに悩んだ末に数ある候補曲の中から浮かび上がったのが『言問橋』であった。
この曲は、いわゆるフォーク系ではあったものの、“さだ作品”の持つ、あの“哀感”とはまたひと味違った
“郷愁”のようなものを持つ作品として、フォーク路線でクラフトファンになった人たちの想いを裏切る事無く、
クラフトの新しいオリジナル曲としての位置付けを決めた曲であった。

* 追記*
 詞は三井誠と平井正尚の共作となっているが、この平井正尚という人物、
実は三井や森谷の在学したK 大学フォークソング同好会の2年後輩にあたる。
立川合宿時代に遊びに来たりライブにもよく来ていた人物。
他にも初代ベーシスト三森丈夫の『さらば夏の日』や、森谷の『まさか君がお嫁に行くなんて』の詞を提供している。
現在は新潟県在住だがクラフト復活ライブには必ず駆けつけてくれている(今は新幹線に乗れば数時間の距離だが…)。
まさに『友あり遠方より来る』であ
る。