◆◆クラフト史・頼 空陀◆◆ |
〜三度目のメンバーチェンジ〜 | ||
『僕にまかせてください』『さよならコンサート』のヒットにより、 1975 年以降、コンサートツアーで全国をまわる機会が増えていた時期、 ベーシストの三森丈夫が事情により脱退。コンサートツアーを続行させるためには 急遽替わりのベーシストを探さなくてはいけないことになる。 そこでメンバー、マネージャーは相談して、大学時代のフォークソング同好会の仲間でもあった 中川敏明にベーシスト&ヴォーカリストを探してもらう事になった。 当時、中川はレコードのライナーノーツを書いたり、既に多方面での音楽活動をしていた人物であった。 そのため顔も広く、知人の中にメンバーになれるような人物がいないかどうか、打診をしたのであった。 話は逸れるが、この中川敏明という人物、三井にとっては大変重要な役目を果たしたようである。 彼は、クラフトの立川合宿時代に、様々な音楽の情報を運んで来てくれたのである。 その中にはBEACHBOYS の「Pet Sounds」,THE BAND の「Cahoots」、あるいはFAIRPORT CONVENTION の「UnhalfBricking」などなど、 三井が影響を受けたアルバムがたくさんあった。 話をもとに戻そう。ヴォーカルがとれて、尚かつベースが操れる人間なんて、そんなに居るものではない。 それだけ三森の脱退はメンバーにとっては痛手だったし、ある意味ではバンドとしてやっと売れだした!?時期でもあり、 ライブ演奏の機会も増えて来ていた頃だったので、メンバー探しは急を要していた。 そしてクラフトの最終的なメンバー、ベーシスト&ヴォーカリストの濱田金吾の登場である。 |
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